「阪神・淡路」をくり返さないで
2012年01月28日
17日は阪神・淡路大震災のメモリアルデーでした。
今回は何よりも、阪神を上回る被害が出た東日本大震災があった後なので、これまでのメモリアルデーとはやはり気持ちが違いました。
早朝から東灘区の魚崎の住民が開いた追悼の催しに出席し、地震が起きた午前5時46分に黙とう。阪神・淡路と東日本の犠牲者の冥福を祈りました。
魚崎で開かれた追悼式 |
その後、午前中は三宮の勤労会館で開かれた市民追悼式に参加し、午後は同じ勤労会館の「東日本大震災被災地と結ぶ17年メモリアル」(主催=救援・復興兵庫県民会議)集会に参加しました。
この集会では、いま兵庫県や神戸市が借り上げ復興住宅から入居者を追い出そうとしていることと、業者の2重ローンの苦しみという阪神・淡路の現状が報告されるとともに、岩手県、宮城県、福島県から参加された方々が被災地と被災者の現状を報告されました。
それを聞いて、驚いたというか、やはりというか、被災者の現状は大分厳しいことがわかりました。生活再建が大変遅れているのに、支援が不十分だったり、全くダメだったり。
断熱性のない仮設住宅の極端な寒さや雇用が全くないこと、宮城県は大企業向けの施策ばかりで被災者は放置されていること、放射能被害で除染も全面賠償も進まない福島など、大変な現実が続いています。
福島の話を除けば、阪神・淡路で震災後体験してきたことをトレースしているような…。
仮設住宅は「冬は氷点下、夏は40度以上」というメチャクチャな住環境だったこと、多くの人が健康を害したことを思い出しました。東北はもっと寒いでしょう。当時、神戸の仮設の住民でつくる仮設住宅ネットワークのスローガンは「生きて仮設から脱出しよう」でした。
宮城県は「単なる復旧ではなく再構築を」と標榜しているとのことですが、阪神・淡路大震災で兵庫県や国が「単なる復旧ではなく創造的復興を」と掲げたのと言葉までほとんど同じ。
もちろん阪神とは色々な違いがあるし、県によっても違うでしょう。
要するに大事なことは、国・自治体が被災者を大切にするかどうか、公的支援(個人補償)をはじめ生活と生業の再建に責任を持つかどうかです。ボランティアでは如何ともしがたい問題です。
阪神・淡路の場合、神戸空港や新長田の巨大再開発のようなたくさんの大型開発事業が「復興」の名ですすめられ、被災者は後回しにされ、生活再建は個人の自己責任にされました。
個人補償はされず、そのため、集会で報告されたように家や店を再建した人は大借金となり、孤独死は今も続き仮設住宅と復興住宅で合計950人にもなりました。
この誤りを東北で絶対にくり返してはいけません。
神戸の医療現場で被災者の方々の苦しみを見てきた者として、強く思います。